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雲松山泉龍寺は、東大寺別当として知られる良弁僧正が創建したと伝えられています。現在境内には、江戸時代中期に再建された本堂や、幕末期に建立・再建された開山堂、鐘楼、山門が残されており、壮観な佇まいを見せています。
かつては「六所明神」と称し、多摩川沿いに位置していましたが、多摩川の洪水によって、江戸時代初期、現在地に再建されました。長い参道の入口にある石造の鳥居は、慶安4年(1651)に寄進されたもので、狛江市の文化財に指定されています。
園内には、江戸時代後期の農家の面影を残す旧荒井家住宅主屋1棟と、江戸時代の終わり頃に建てられた旧高木家長屋門1棟が移築・復元されています。年間を通じて、様々な行事が行われています。詳細は、民家園までお問い合わせ下さい。
本来は全長約40m、高さ6mほどを測る帆立貝型の前方後円墳でした。現在はそのごく一部が残されており、徳富蘇峰の筆による「狛江亀塚」の石碑があります。5世紀末頃に築造された古墳で、昭和26年に行われた発掘調査では、鏡・馬具・装飾具・武具・埴輪など多彩な副葬品が出土しました。
平井薫威が文化2年(1829)に建立した歌碑で、松平定信が揮毫した万葉集の古歌が彫られていましたが、文政12年(1829)の多摩川の洪水によって流失しました。現在の歌碑は、定信を崇敬する渋沢栄一の援助によって、大正13年(1924)に再建されたものです。
狛江古墳群のなかではもっとも原形を留めている古墳で、東京都の史跡に指定されています。直径38m、高さ6mほどの円墳で、これを取り巻く周溝からは円筒埴輪が出土しています。6世紀半ば頃に築造された古墳です。